2009年4月12日
■ My Favorite Songs Vol.3 ~春だから、HΛL。
このPVはお世辞にも、あまり完成度が高いとは思えないんだけど、
やっぱ、この「Split Up」って曲はとっても好きだなあ。明るくて、のびやかで。
そして、やっぱり春な感じで。
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2009年2月16日
■ 宇宙ごみ、多いか少ないか。
宇宙ごみ、1万9000個以上=米ロの衛星衝突で新たに700個-米紙(時事通信)
【ワシントン15日時事】米紙ワシントン・ポストは15日までに、米軍が探知している人工衛星の破片などの「宇宙ごみ」は直径10センチ以上のものだけで1万9000個余りに上り、今月10日(日本時間11日)に起きた米ロの衛星衝突により、新たに約700個の発生が確認されたと報じた。
破片は秒速約7キロで周回しているともいわれ、その破壊力が衛星や宇宙ステーションの脅威になっているだけに、国際的な情報共有による監視強化が課題となっている。
同紙によると、米ロの衛星はシベリア上空でほぼ直角に交差し衝突した。米戦略軍の宇宙監視レーダーなどで分析した結果、これまでに確認された破片は米イリジウム・サテライト社の衛星が194個、ロシアの衛星が505個。中国が2007年にミサイル実験で衛星を破壊した際には、約2500個の破片が発生したという。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090215-00000036-jij-int
こういった記事を一読して、地球周辺って宇宙ごみだらけなんだなあ、なんて思ってしまった人は仕方ない。が、この手の記事を何度か熟読した上で、それでも同じ結論のままでいたとするならば、そういった人は率直に言って、自分自身のアタマで何も考えようとしないアホである。
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2009年2月15日
■ これは、やばい。
これは、やばい。超やばい。激やばい。
経済危機の中で、最重要な閣僚である財務相が、こいつかよ。
日本丸は、一体どこへ行くんだ?(汗)
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2008年12月31日
■ 「変」な一年、「2008」。
今年を一字の漢字に喩えると「変」だそうである。
変というのは変化の変でもあるし、変人や変質の変でもある。
前者なら良い意味を含むが、後者なら、あまりいい意味とは言えない。
今年は「Change」を売り物にした素人政治家が人気をさらったから、多くの人はきっと「変化」の変と捉えたのであろう。それは裏返すと、「変わって欲しい」という願望の現われでもある。それだけ今年、特に後半は、人々にとってあまり好ましくない印象を持たれた年だったのであろう。
おいらは、個人的には、今年はそう悪い年ではなかった。世間一般で騒がれている派遣切り等についても、あまり関係ないというか、興味もない事柄であった。事柄というより、そういった立場の人々に対し、何の関心も抱けなかったというほうが正確であろう。
ただ、そういった人々が注目され、テレビカメラに追いかけ回され、カメラの前で怒り、あるいは泣き、自分の意見を披露し、そして放ついろいろなパフォーマンスめいた言動だけは、なかなか面白く見逃せないものであった。
今日も高層ホテルのレストランなどでは、一本数万円もするワインを、当たり前に普通に飲んでいる人々がいるだろう。そして、その百~二百メートルほどの下界には、食うや食わずで家もなくさまよう人々が、やはり存在するのであろう。
しかし、いわば、「それが人生だ」と思うのである。この世には富める人と貧しき人がいて、そしてその中間に多くの普通の人々がいて、上をみて羨み、下を見て「ああはなるまい」と考え、子供にも「あんな風にならないように勉強するんだよ」などと教え込む。それは真に「生きた教育」であり、社会というのは子供にとって最高の教材であった。
これが鎌倉時代の名僧であった明恵の言った、「あるべきやう」だとおいらは思う。自然な世の中の姿だと思う。ある程度の格差は「あらまほしき」ものである。みんなが食うや食わずでは困るが、かといって、みんながみんな豪邸に住みトリュフやキャビアで飽食するような世の中では、きっとつまらないだろう。
芥川龍之介の「蜘蛛の糸」という作品に登場するお釈迦様も、眼下に広がる地獄に住む人々が幸せそうに鼓腹撃壌していたら、彼は内心、やや失望されたであろう。カンダタに蜘蛛の糸を垂らし、自らの住む世界にまで引き上げてやろうなどとは決して思わなかったはずである。
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さて、今年も書いたり書かなかったりの「格差」が激しかったが(笑)、おいらはもともと気まぐれな質であり、これから先もこんな感じで書いていくだろうと思う。
おつきあいいただく人には申し訳ないが、これがおいらのスタイルなので仕方がない。そんなおいらの書くものを読んで頂けるだけで、感謝の至りである。
では、今年もいろいろありがとうございました。また来年もよろしくお願いします。
よいお年をお迎えください。
posted by かっぱ2号 : 12月31日 20:10 | コメント (0) | トラックバック (0)
2008年11月19日
■ 人の振り見て・・・。
「社会的常識欠けた医者多い」=麻生首相、全国知事会で発言
11月19日17時57分配信 時事通信麻生太郎首相は19日、首相官邸で開かれた全国知事会議で、地方の医師不足問題に関連し、「地方病院での医者の確保は、自分で病院経営しているから言うわけじゃないが大変だ。社会的常識がかなり欠落している人(医者)が多い。とにかくものすごく価値観が違う」と述べた。
首相の発言は、地方病院の勤務医不足を問題視したものだが、今後波紋を呼びそうだ。日本医師会などが反発する可能性もある。
また、首相は「小児科、婦人科が猛烈に問題だ。急患が多いところは皆、(医師の)人がいなくなる」と指摘。産婦人科などに対する診療報酬加算などの対応が不十分であるとの認識を示した。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081119-00000129-jij-pol
「社会的常識がかなり欠落している人が多い。とにかくものすごく価値観が違う」
おいらも、某国最高首脳に対してそう思ってますよ、総理。
それにしても、この人って、国民を釣ってるんじゃないかって思える時がある。(^^ゞ
posted by かっぱ2号 : 11月19日 20:37 | コメント (2) | トラックバック (0)
2008年11月18日
■ 支持せぬ理由。
今から3年前、郵政選挙というものがあった。当時は小泉総理で、彼は何が何でも郵政民営化を実現させるつもりだった。にもかかわらず、参院では多数の造反者が出て、念願の郵政民営化法案が否決されてしまった。
小泉総理は、陳腐な言い方をすれば「不退転の決意」をお持ちだったようである。参議院で否決された結果を受けて、彼は即座に衆議院を解散することを決断した。やや強引ではあったが、郵政民営化を何としても実現させるためには、それしか方法がなかったのも事実である。
日本国総理大臣個人には、実は、直接の解散権はない。解散する権限があるのは「内閣」である。つまり、解散するためには、閣議で了承を得なくてはならない。総理大臣は原則として、自分の選んだ大臣たち全員の賛成を得る必要があるのだ。
ただし、どうしても反対する閣僚がいた場合、総理大臣は、これらの大臣を片っ端から罷免することができる。全員のクビを切ることも可能である。かつ、すべての大臣を総理が兼務することができる。いわゆる「一人内閣」すら、独断で、議会の同意なしに実現可能なのである。
日本国総理大臣が本気になればその権力は絶大であって、この自在な人事権こそが、日本国憲法下における、内閣総理大臣の力の源泉なのである。
郵政選挙の際、当時の第2次小泉改造内閣の閣僚には、解散に反対を唱えた者が少なくとも三名いた。
総務大臣の麻生太郎、経産大臣の中川昭一、農水大臣の島村宜伸である。
このうち、島村は最後まで断固として意見を曲げず、小泉総理によって罷免された。自発的な辞任を申し出たが許されず、罷免されたのである。
ところが、麻生と中川は一度反対したにもかかわらず、その後、自説を曲げて解散賛成に回ったのである。
この場合、閣僚たちに取りうる道は4つあった。
(1)解散に賛成なので、賛成する。
(2)解散に賛成だが、反対する。
(3)解散に反対だが、閣僚としての立場を弁え、賛成する。
(4)解散に反対なので、閣僚ではあるが、反対する。
このうち(2)はあり得ないので実質的に選べる道は3通りだが、多くの閣僚たちは(1)もしくは(3)を選んだ。内閣の一員としての筋を通したわけで、それはそれで理解できる判断である。
問題は(4)である。政治家というのは、おいらは、最低限の信念がなくてはならないと考えている。最高権力者に逆らう意思を表明したのであれば、尚更である。反対という意思を明確にしてしまった以上は、たとえクビを切られようと反対を貫くべきであった。その意味で島村は一政治家として立派だったが、あとの二人の変節は尊敬に値しないものであった。
おいらがこの二人に感じたのは「弱さ」である。いざ土壇場に追い込まれたとき、この二人は弱さを露呈すると思ったのである。従って、おいらは、総理大臣としては麻生と中川は不適格だと考えている。おいらが麻生を最初から支持しなかったのは、これが理由の一つである。
もう一つの不支持の理由は、麻生が河野グループに属していたからである。河野グループというのは、言うまでもなく河野洋平をリーダーとするグループであるが、河野は自民党の中でも名うての左派である。自民党にいるのが不思議なくらいな男である。そんな男の派閥に、中韓に対する威勢のいい発言で鳴らした麻生が属しているのは、理解不能である。どう考えても河野と麻生の政策や歴史観が一致するとは思えないからである。
麻生太郎という人間を子細に眺めていると、このような平仄の合わない点や人間的弱さを見てとることができる。定額給付金に関するゴタゴタも、解散にまつわるゴタゴタも、つまるところ彼が弱く、ハッキリ決断することができなかったからこそ、傷が深くなったのである。
このまま不手際が続き、支持率が下降する一方であれば、おそらく、遠からず「麻生では選挙は戦えない」という空気が与党内に充満するであろう。
政治家にとっては、国よりも党よりも何よりも、自分自身が選挙で当選することが一番大切なことなのである。選挙に落ちればタダの人になるのだから、その思いは切実である。だから、今の総理を担いでいては自分の選挙が危ういとなったら、彼らは一瞬にして手のひらを返す。その返し方はもう鮮やかで、感心するほど一気に変わってしまうものである。
彼らの手のひらが引っくり返されるのはいつか、麻生氏が御輿から引きずり下ろされるのはいつか、おいらは時限爆弾が爆発するのを待つような思いで眺めている。
posted by かっぱ2号 : 11月18日 01:18 | コメント (2) | トラックバック (0)
2008年11月17日
■ 定額給付金を嗤う。
最近の麻生首相の評判は散々である。ミソの付け始めは例の「定額給付金」であった。これの原案はおそらく公明党あたりが言い出した定額減税だろうが、国民にあまねくカネを配るこの政策は、言うまでもなく世紀の愚策である。現在の与党は「地域振興券」の失敗に何も学ばなかったようである。
出自から良くなかったこの定額給付金であるが、その後の展開が更に悪かった。麻生首相は最初、「全所帯に給付金を出す」とテレビカメラの前で国民に対し宣言したにもかかわらず、与謝野大臣が「所得制限をしないのはおかしい。給付金など要らない所帯にまで配るのは変だ」と言い出したのである。
この時、麻生首相に明確なポリシーがあれば、是なり非なり裁定したはずである。しかし彼は「議論になるのはいいことではないでしょうか」などと立場が定まらず曖昧なままだった。これが最初の致命傷になった。
そもそも論を言えば、この給付金なるもの、(1)景気対策なのか (2)生活支援なのか、一体どちらなのかがハッキリしなかったのが諸悪の根源であった。(1)なら、所得制限するのは馬鹿げているわけだし、(2)なら所得制限しないのはおかしい。要するに、所得制限をするかしないかは給付金の性格によって一発で決まるものであって議論の余地などない。最初からこの給付金の性格が曖昧だったから混乱したのである。
おまけに、出来るだけ早くに、すなわち今年中もしくは今年度のうちに急いで給付金を配ろうとしたものだから、事態は更に混迷の度を深めた。所得制限をかけるのか、かけないのか。かけるとすれば、一体年収いくらから貰えなくなるのか、いつの時点の年収で線引きするのか、去年の年収か、今年の年収か、今年の年収を把握できるのは来年半ばであり、それまでは給付のしようがない、などと無茶苦茶なことになった。
麻生内閣の各閣僚も、首相の最初の宣言はあたかも聞かなかったの如く、好き放題しゃべりまくった。所得制限するかしないか、閣僚の発言はバラバラだった。鳩山のように、首相の方針に真っ向から反対するやつもいた。麻生内閣の統制は、完全に失われたのである。
その間、最高責任者である麻生首相は、おいらの目から見れば拱手傍観しているだけに見えた。彼は結局のところ、何も決めようとはしなかったのである。
そして最終的には、年収による線引きをするかしないかは、各自治体の裁量に委ねられることになった。年収の線引きは1800万円を推奨ということになったが、その金額が所帯の収入か個人の収入を指すのかも決められなかった。
丸投げというのは、必ずしも悪いことではない。自分が分からない分野は、分かる人間を責任をもって選定し、彼に丸投げすることはむしろ好ましいことである。
しかし、この場合は違う。この定額給付金なるもの、2兆円もの税金を使う「国策」なのである。国策をいい加減な状態で地方に丸投げしては地方が困るだろう。しかも、年末年始~年度末の最も忙しい時期である。実際、地方自治体は怒り心頭のようである。この政策を褒める声は、少なくとも地方自治体の首長からは聞いたことがない。
かかる混乱を引き起こした当の本人の麻生首相は、定額給付金の細部を地方へ丸投げしてしまったことについて「地方分権だから、細かいことは地方で決めたらいい」と述べたそうである。これを聞いた人は、おそらく口があんぐり、まさに開いた口がふさがらないというところであろう。
そしてトドメを刺したと言えるのが、各種の読み間違い、言い間違いである。「頻繁」を「はんざつ」と読み間違えたのは、老眼だったら仕方ないかも知れない。「前場」を「まえば」と読んだのもご愛嬌だろう。しかし、「踏襲」を「ふしゅう」と二度も間違えたり、株式に満期があるなどとの発言は、まったくいただけない。これではただのアホだからである。
人は、嫌われるのはまだ良い。恐れられるのも、時には一種の勲章であるかも知れない。しかし、絶対にダメなのは、「侮られる」ことである。侮られることは名誉を失うことであり、威信を完全に失墜することである。人は、侮られてしまってはお仕舞いなのである。侮られないために、人々は努力する。侮られぬために激しい戦いを挑むことすらある。それは、侮られたらもう終わりなのを知っているからである。
おいらは今までいろいろな総理を見てきた。アベがいきなり辞めた時はあまりの酷さに「史上最低総理」と評したものだったが、それからたった一年でそれを超える大物が出るとは思わなかった。
おいらは、もう麻生政権は末期だと見ている。今日のフジテレビの世論調査でも、内閣支持率は10ポイントの急降下だそうである。この状態では仕方がない。むしろ当然とも言える。9/1の時点、すなわち就任時の頃からおいらは麻生首相は支持していなかったが、ここまで酷い状態になるとは思わなかった。これから先、どこまで落ちていくのか、怖いもの見たさのような気分なのである。
posted by かっぱ2号 : 11月17日 00:17 | コメント (2) | トラックバック (0)
2008年11月16日
■ コーソー & フシュー。
十年ほど前だろうか、当時お世話になっていた人が新聞を読みながら、
「ねえ、この○○大臣、やっぱりコーソーされるかな?」
と、おいらに聞いてきた。
おいらは「コーソー? 構想? 高層? 一体なんだ?」
と不審に思い、その新聞をのぞき込むと、そこには「○○大臣、更迭か」と大きな見出しが躍っていた。
その人は当時50代も末だったから、さすがに「それはコーソーじゃないですよ、コウテツって読むんですよ」とは訂正できなかった。これが20代そこそこの相手だったら、「アホだなあ、これはねコーソーじゃないよ、コウテツって読むんだよ。だからゆとりはいやなんだよ(笑)」とか突っ込みまくったところである。
考えてみれば、ハッキリ注意されたり怒られたり、あるいは面前で笑われたりして、苦い思いをしているうちが華なのである。若いというのは良いものである。過ちをおかしても遠慮なく教えてもらえる。勿論いくら若くても、それが度重なり、「あいつは何度言ってもダメだ」と思われるようになったら、もはや突っ込まれることもなくなる。そして輪から外される。
一方、老いた人は注意さえしてもらえない。こちらから言い出すことは躊躇われるし、過ちを素直に認める柔軟さも失われているからである。
間違いは正されることはなく、ずっと間違われたままとなる。若い頃に苦い思いを味わわないまま年老いてしまった人は、だから哀れである。それまで、彼は誰にも注意してもらえなかったということだからである。そしてもはや、老いた彼の誤りを糺してくれる人が現われることはない。明らかに誤った日本語を彼は喋り続け、ずっと人にバカにされる。本人は知らぬまま、死ぬまで。
あれから十年の年月が経ったが、ちょうど麻生さんと同年配の件の人は、やはり「更迭」を「コーソー」と読んでいるのだろうか。そして人に訝られ続けているのだろうか。そう思うとおいらは、今でも少しばかり胸が痛むのである。
posted by かっぱ2号 : 11月16日 22:33 | コメント (2) | トラックバック (0)
2008年11月10日
■ オバマはなぜ「オバマ」?
多彩な家系、まるで「国連総会」=異母・異父きょうだい7人-オバマ氏
【ワシントン5日時事】第44代米大統領となる民主党のバラク・オバマ上院議員(47)は、ケニア人の父、カンザス州出身の白人の母を持ち、異母・異父きょうだいが7人もいるなど、その家系の多彩さは歴代米大統領の中でも群を抜いている。オバマ氏自身、自伝で「クリスマスに一族が集まれば、国連総会の様相を呈する」と書く多様な顔触れが、「人種や党派の垣根を越えた米国の団結」という主張に説得力を与えている。
オバマ氏の父、故バラク・フセイン・オバマ氏(1936-82年)はハワイ留学中の60年、2人目の妻として故アン・ダナムさん(42-95年)と結婚、61年にオバマ氏が生まれた。
バラク氏は、ケニアで結婚した最初の妻ケジアさんとの間にも3男1女をもうけたほか、アンさんと離婚後、白人の米国人女性ルースさんを3人目の妻とし、男の子2人が生まれた。うち1人は交通事故で不慮の死を遂げた。バラク氏はさらに、別の女性との間にも1男をもうけた。
一方のアンさんは、インドネシア人男性の故ロロ・ストロ氏(36-87年)と再婚。オバマ氏の選挙応援に加わった異父妹のマヤさん(70年生まれ、ハワイ在住)を産んだ。
オバマ氏は4日深夜、地元シカゴで行った勝利演説で、これら兄弟姉妹の応援に感謝の言葉を贈った。
オバマ氏の母方の父の家系は、17世紀にまでさかのぼることができる。オバマ氏が共和党保守派の重鎮であるチェイニー副大統領と遠い親類に当たることを同副大統領夫人が発見したほか、ブッシュ大統領とも血筋がつながっているとの説もある。(2008/11/05-18:06)
http://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2008110500683
この記事によると、オバマ次期大統領の両親は共に亡くなっているようである。また、父と子がミドルネームも含め、まったく同姓同名なのが目を引く。
また、多彩な異父兄弟・異母兄弟もいるようである。父方の兄弟だけで自身も含め少なくとも8人いることになる。大阪の橋下知事は7人も子供がいて平均値より飛び抜けて多いが、それを更に上回るとは大したものである。
完全に余談になるが、側室や妾というものに関係なく、いわば本妻のみでの最多の子だくさんは、おいらの知る限り室町末期の本願寺の僧であった蓮如である。彼は生涯に27人の子供を作った。最後の、27番目の子は1498年に生まれた。1415年生まれの蓮如にとっては83歳の時の子供であった。
それはさておき、ここで一つ不思議なことがある。なぜ「オバマはオバマなのか」ということである。
上記によると、母親であるアンさんはオバマ父とはとっくに離婚し、別のストロという男と再婚したようである。ところが、いわば母親の連れ子だったオバマ氏は、継父のストロでもなく、母親の旧姓のダナムでもなく、実父の姓であるオバマを名乗っている。
なぜ、オバマがオバマであり続けたのか、母親のアンさん自身はどんな姓を名乗っていたのかということを解説した記事はない。どうということもないのだが、気にはなっている。
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2008年11月 9日
■ Aso and Obama
黒人のオバマより色の黒い、イエローな麻生ってのも、何だかなあ。(^^ゞ
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2008年11月 8日
■ 愉快な空自。
空自3佐が全裸でコンビニに 女性下着買う
航空自衛隊松島基地の男性自衛官が、全裸でコンビ二エンスストアに入ったとして、公然わいせつの疑いで書類送検されていたことが分かりました。
航空自衛隊松島基地の第4航空団に所属する36歳の男性3等空佐は今年9月5日午前2時半ごろ、宮城県東松島市内のコンビニに全裸で入り、女性用の下着を購入しました。店の外で服を脱ぎ、財布だけを持って入店したということです。松島基地によると、3等空佐は同僚の送別会に参加した帰りで、「全裸の男性が店に入ったら滑稽(こっけい)だろうと思い、やった」と話しているということです。3等空佐は停職10日の懲戒処分を受けています。
[7日18時24分更新]
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/ann/20081107/20081107-00000009-ann-soci.html
いやはや、空自というのは愉快な職場のようである。前任の幕僚長は「日本は北朝鮮みたいだ」と宣い、3等空佐が笑える事件を起こす。
3等空佐というのは、普通の国であれば空軍少佐ということである。階級的には戦闘機のパイロットあたりである。
その「空軍少佐」殿が、コンビニに全裸で入店、女性用下着のご購入と相成った。さすがに全裸では寒かったのだろうが、何も女のパンツを買わなくてもいいじゃないか。
ホントに日本の空の安全は大丈夫だろうか。このような男が、もしかしたら、戦闘機のミサイル発射ボタンを押す立場にいるかも知れないのである。いくら領空侵犯されても実際に撃つことはないから、実害はないかも知れないが。
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2008年11月 7日
■ トンチンカンなひとびと。
最近、ニュースを見ていると「コイツ、ちょっとアタマおかしいんじゃないか」と感じることが多い。トンチンカンなひとびとというのはかなり抑えた表現だが、最近の記事で目についたトンチンカン野郎について述べてみたい。
田母神前空幕長が記者会見、スーツ姿で謝罪・反省の弁なし(読売新聞)
政府見解と異なる論文を投稿して更迭された田母神俊雄・前航空幕僚長(60)の処遇は3日夜、定年退職という異例の形で決着した。
田母神氏は3日夜、東京都内で記者会見し、「(論文の内容について)今でも間違っていない」「日本は決して侵略国家ではない」などと述べ、持論を撤回しない考えを示した。
37年間にわたり愛用してきた制服ではなく、スーツ姿で会見に臨んだ田母神氏。冒頭、「退職にあたっての所感」を読み上げたが、防衛省・自衛隊を混乱させたことに対する謝罪や反省の弁はなかった。
「日本が悪い国だという認識は修正されるべき」などの持論を、終始、繰り返した田母神氏。「戦後教育による『侵略国家』という呪縛(じゅばく)が国民の自信を喪失させ、自衛隊の士気を低下させている」とし、現役自衛官に対しても、「自分のことより国家、国民のことを常に優先した言動を取ってほしい」と神妙な面持ちで語った。
論文が政府見解と異なる点についての質問では、田母神氏は「政府見解に一言も反論できないとなると北朝鮮と同じだ」と語気を強めた。論文の懸賞金300万円については受け取るという。民主党が要求の構えを見せている国会での参考人招致については、「応じるつもりだ」と答えた。会見は20分余りで終了した。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081103-00000033-yom-soci
おおっぴらに記者会見まで開き、好き放題しゃべりまくっておきながら、「政府見解に一言も反論できないとなると北朝鮮と同じだ」とは、よりによって言いも言ったりである。おいらの知る限り、北朝鮮において、政府方針に反することを軍高官がしゃべりまくったとすれば、速やかに逮捕され銃殺、良くても収容所送りであろう。
かつて、亀井静香が小泉総理のことを「ヒトラー」と呼んだが、彼が本当にヒトラーであったら同じ運命が待っていたはずである。
気に食わぬ相手に悪いレッテルを貼ることをdemonizeというらしい。デーモン、すなわち悪魔化するという意味である。「ジャップは黄色い猿」「鬼畜米英」といったやつである。「日本政府は北朝鮮と同じ」「小泉はヒトラー」も同じ類である。
戦時中の異常な空気の下ならまだしもだが、平時におけるこの手のdemonizeは、多くの場合通用しない。聞いている人々も冷静だし、それほど馬鹿でもないからである。日本が北朝鮮のような国か、小泉総理がヒトラーのような人間か、そんなことは分かり切ったことである。聞き手のレベルをあまり見くびらないほうが良い。そんな発言をする人間は、自分の価値を、自ら貶めるだけなのである。
航空幕僚長更迭 退職金「自主返納の判断待つ」…防衛相
11月6日13時19分配信 毎日新聞
参院外交防衛委員会は6日午前、政府の歴史認識に反する論文を公表して更迭された田母神(たもがみ)俊雄・前航空幕僚長=3日付で定年退職=の問題などをめぐり、野党側が政府の対応を追及した。喜納昌吉氏(民主)は「国益を損なった田母神氏に退職金約6000万円を払うべきではない」とただした。浜田靖一防衛相は「国家公務員法に基づくものであり、本人の自主返納の判断を待ちたい」と、本人からの返納を求める姿勢を示した。また浜田防衛相は、田母神氏の懲戒処分を検討した際、同氏が意見表明の機会を要求していたと明らかにし、「手続きに10カ月以上かかる可能性があり、一番早い処分として懲戒ではなく定年退職とした」と、これまでの説明を修正した。防衛省は当初、「田母神氏が事情聴取に応じないため退職させた」と説明していた。【松尾良】
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081106-00000007-maip-pol
以前に述べたように、田母神論文は杜撰な作文に過ぎないとおいらは思っているが、懲戒処分に値するものでもないと考えている。論文の件については予め口頭で官房長に伝えていたようだし、それなら法にも内規にも反せず懲戒のしようがない。
それに、常々おかしいと思っているのだが、「自粛を促す」とか、「自主返納を求める」とか、日本語としておかしいのである。自主はあくまでも自主であって、求めたり強要したりするのならば、それは事実上の強制であって自主でもなんでもない。
この浜田というのは例のハマコーの息子らしいが、若くてもこんなに頭が悪くては使い物にならない。早めにオヤジと取り換えたほうがいいのではないかとさえ思っている。
「【正論】小堀桂一郎 空幕長更迭事件と政府の姿勢」コラむ‐オピニオンニュース:イザ!
≪到底黙視し得ない事態≫1日付本紙の第1面で航空幕僚長田母神俊雄氏の更迭が報じられた。理由は田母神氏がある民間の雑誌の懸賞募集に応募し、最優秀作として掲載される予定の論文が、所謂(いわゆる)「過去の歴史認識」に関して従来政府のとつてきた統一見解と相反する、といふことの由である。この件に関しての高橋昌之記者の署名入り解説は適切であり、2日付の「主張」と合せて結論はそれでよいと思ふのだが、一民間人としても到底黙視し得ない事態なので敢へて一筆する。
田母神氏の論文を掲載した雑誌は間もなく公刊されるであらうが、筆者は既に別途入手して全文を読んでゐる。それに基づいて言ふと、本紙に載つた「空幕長論文の要旨」といふ抄録も、全文の趣旨をよく伝へてをり、大方の読者はこの「要旨」によつて論文の勘所を推知して頂(いただ)いてよいと考へる。
田母神論文を一言で評するならば、空幕長といふ激職にありながら、これだけ多くの史料を読み、それについての解釈をも練つて、四百字詰め換算で約18枚の論文にまとめ上げられた、その勉強ぶりにはほとほと感嘆するより他のない労作である。
≪栗栖事件に連なるもの≫
その内容は、平成7年の大東亜戦争停戦50周年の節目を迎へた頃から急速に高まり、密度を濃くしてきた、「日本は侵略戦争をした」との所謂東京裁判史観に対する反論・反証の諸家の研究成果をよく取り入れ、是亦短いながら日本侵略国家説に真向からの反撃を呈する見事な一篇(いっぺん)となつてゐる。
筆者は現職の自衛隊員を含む、若い世代の学生・社会人の団体に請はれて、大東亜戦争の原因・経過を主軸とする現代史の講義を行ふ機会をよく持つのだが、これからはその様な折に、この田母神論文こそ教科書として使ふのにうつてつけであると即座に思ひついたほどである。ここには私共自由な民間の研究者達が、20世紀の世界史の実相は概(おおむ)ねかうだつたのだ、と多年の研究から結論し、信じてゐる通りの歴史解釈が極(ご)く冷静に、条理を尽して語られてゐる。
そして、さうであればこそ、この論文は政府の見解とは対立するものと判断され、政府の従来の外交姿勢を維持する上での障害と看做(みな)されて今回の突然の空幕長解任といふ処置になつたのであらう。1日付の本紙は、歴史認識についての発言が政府の忌諱(きき)にふれて辞任を余儀なくされた、昭和61年の藤尾氏、63年の奥野氏を始めとする5人の閣僚の名を一覧表として出してをり、これも問題を考へるによい材料であるが、筆者が直ちに思ひ出したのは昭和53年の栗栖統幕議長の更迭事件である。
現在の日本の憲法体制では一朝有事の際には「超法規的」に対処するより他にない、といふのが、国家防衛の現実の最高責任者であつた栗栖氏の見解で、それはどう考へても客観的な真実だつた。栗栖氏は「ほんたう」の事を口にした故にその地位を去らねばならなかつた。その意味で今回の田母神空幕長の直接の先例である。
(中略)
この選択の誇示によつて、懸案の同胞拉致も領土問題も、靖国神社公式参拝問題も全て、国民の期待と希望を大きく裏切つて又しても解決が遠のく。国民の名誉と安全が脅かされてゐる事態は解消しない。然し田母神氏の更迭事件は我々に或る大きな示唆を与へてゐる。即ち、今や村山談話の破棄・撤回こそが、国民の安全にとつての最大の政治的懸案となつたのである。(こぼり けいいちろう、東京大学名誉教授)
この小堀という男は東大名誉教授らしいが、今でもたまには講義したりするのだろうか。ならば学生たちが気の毒でならない。
前々から思っていたのだが、この男はなぜいつまでも「旧かなづかひ」なのだろう。何の意味があるのだろう。ただ読みにくいだけである。
読みにくいだけではなく、今回は内容もボロボロである。田母神論文を激賞しているが、このオヤジも老いたなあ、耄碌したなあ、としか感じない。かの作文は、そこまで評価すべきものとは、おいらにはとても思えないからである。
田母神作文には前述したように瑕疵が多い。
他にも「一方日本は第2次大戦前から5族協和を唱え、大和、朝鮮、漢、満州、蒙古の各民族が入り交じって仲良く暮らすことを夢に描いていた。」という一節があったが、田母神は本気でこんなことを信じているのだろうか。
21世紀の現代においてすら、「大和、朝鮮、漢、満州、蒙古の各民族が入り交じって仲良く暮らすこと」など、誰も全く望んではいない。日本人ですらそうなのである。
この「五族協和」には「日本人が指揮監督するもとで・・・」という暗黙の前提がある。いわば、かつてのソ連と東欧の衛星国のような関係である。東欧諸国以上に歴然たる傀儡国家であった満州国を見ればそれは明らかだが、日本人ですら望まぬ五族協和を、支配下に置かれる側である「朝鮮、漢、満州、蒙古」あたりの人々が望むわけがない。
それをあたかも、過去の日本の行った美点のように書いてしまう田母神はやはり、相当ズレている。また、そんなズレた作文を読んで「激賞」してしまう小堀らもまた、トンチンカンなひとびとの中の一人と言っても差し支えはないであろう。
それにしてもこの騒動、稚拙な作文を発表しちゃう将軍、それを1位にしちゃうアパ、ベタボメしちゃう耄碌オヤジ、一部の世論に流され法的根拠もなく懲戒だあ退職金返納だあと叫んじゃうアホウな大臣と、なかなかユニークな役者が揃っており、見ていて飽きない。
P.S
田母神の「日本は北朝鮮と同じ」発言であるが、おいらはこれこそ懲戒に値する発言であると思っている。これが懲戒の理由であるならば、少なくともおいらは納得できる。
posted by かっぱ2号 : 11月 7日 00:01 | コメント (2) | トラックバック (0)
2008年11月 6日
■ Yes, We Can !
<米大統領選>オバマ氏、20万人を前に勝利演説…シカゴ
11月5日21時27分配信 毎日新聞【シカゴ(米イリノイ州)小倉孝保】「我々は(共和党の)赤い州と(民主党の)青い州の集まりではない。今もこれからもアメリカ合衆国だ」。全世界が注目した米大統領選で当選を決めた民主党のオバマ上院議員は4日夜(日本時間5日午後)、地元シカゴで勝利演説し、国民に結束を呼びかけた。詰めかけた20万人以上の人々は歓喜の叫びと拍手で応え、新時代の幕開けを印象付けた。
会場となったグラント公園は、1968年の民主党大会でベトナム戦争反対を叫ぶ市民らが多数逮捕された場所でもある。午後11時、「主役」の登場を待ちこがれていた支持者の前に、オバマ氏がミシェル夫人と2人の娘とともに姿を現すと、会場の熱気は最高潮に達した。オバマ氏の目は潤んでいるようにも見えた。
「アメリカでは、すべてが可能であることを疑い、建国者の夢が今も生き続けていることを不思議がり、民主主義の力に疑問を呈する人がまだいるなら、今夜がその答えだ」。オバマ氏は静かにマイクに向かい、真剣な表情で語りかけた。
オバマ氏はイラク戦争や金融危機など米国と世界が直面する課題を挙げ、「1年や1期(4年)での解決は難しいかもしれない」と率直に語った。「道は長く険しい。だが、私は今夜ほど目標に到達するという希望に満ちたことはない」と強調した。共和党支持者に対しても「我々は敵ではなく友人だ。あなたの助けが必要だ」と呼びかけた。
さらに、世界恐慌(1929年)や人種差別が激しかった時代を生きてきたジョージア州アトランタ在住の106歳の黒人女性のことを紹介。「彼女はアメリカがどれだけ変われるか知っている。イエス・ウィ・キャン(そうだ、私たちはできる)」と約15分の演説を終えた。最後にオバマ氏とミシェル夫人、副大統領に決まったバイデン上院議員とジル夫人の4人がステージに集まり、支持者に手を振って歴史的な集会を締めくくった。
まさか、おいらが生きているうちに黒人の大統領が誕生するとは正直思っていなかった。驚きである。
イラク政策の大失敗でブッシュ大統領の人気が地に堕ちていたのは確かだが、おそらく、今回の金融危機さえ起こらなければ、こんな結果にはなっていなかっただろう。選挙人の数は大差が付いているが、得票率自体について言えば両者の開きは大きくなかったからである。白人の投票行動に限って言えば、マケインのほうが勝っていた。だから、この推測はそれほど間違っていないだろうと思われる。
その意味では、オバマを大統領にしたのは、皮肉にもブッシュの経済政策の失敗だったと言える。1か月前、リーマン・ブラザーズがなすすべもなく破綻してしまった時、おいらは「アメリカ政府は何てバカなんだ!」と我を失い天を仰いだものだが、そのツケをブッシュではなくマケインが支払うことになったのは気の毒としか言いようがない。
この金融危機は、アメリカ人を本当に打ちのめしているなあ、とおいらは思う。
「Yes, We Can !」と声高に叫ばなくてはならないのはなぜか。
アメリカは一つだと殊更に叫ばなければならないのはなぜか。
それで心を奮い立たせているのはなぜか。
要は、現実は全くその裏返しだからである。アメリカ人がすべてに自信を失い、国内世論はバラバラで、疑心暗鬼が心に満ちているからである。
オバマはなかなか演説がうまいが、残念ながらイラク撤退以外に具体策を聞いたことはあまりない。ただひたすら「CHANGE ! CHANGE ! CHANGE ! 」と叫ぶのみである。しかし、そんな空虚なスローガンを信じ、縋らなくてはならないほど、アメリカ人たちは傷ついている。
当選した立場とは裏腹に、オバマの顔色は冴えない。喜びもそう大きくないように見える。それはこれから先の重圧を肌で感じているからであろう。この難局をこの47歳の素人政治家がいかに乗り切るか、おいらは興味を持って眺めている。
posted by かっぱ2号 : 11月 6日 00:28 | コメント (0) | トラックバック (0)
2008年11月 5日
■ 「大阪キタ男性死亡ひき逃げ事件 」に、思うこと。
人が直接、事件に巻き込まれることは稀である。ほとんどの事件は、報道によって知る。だから、報道のされ方一つで、事件に関する印象ががらりと変わってしまうことがある。
特に、件の高校生たちのように、自分では何も考えず見聞きしたものをそのまま自分の意見にしてしまう人にとっては、報道姿勢=自分の考えとなってしまうのである。
少ない物証、目撃 大阪のひき逃げから1週間
10月27日12時14分配信 産経新聞大阪市北区梅田の交差点で堺市東区の会社員、鈴木源太郎さん(30)が車にはねられ、約3キロ引きずられて死亡したひき逃げ事件で、福島区の遺体発見現場から市道(北港通)を南西方向に直進したとみられる黒っぽいワゴン車が、約1・8キロ先の国道43号より南西の防犯ビデオには写っていなかったことが27日、わかった。ワゴン車が北港通から国道43号に入って逃走した可能性もある。事件は発生から1週間。これまでに約130件の情報が寄せられているが、有力な物証や目撃情報が少ない中、曽根崎署捜査本部は車種の絞り込みや逃走経路の特定を進めている。
事件は21日午前4時15分ごろ発生。交差点脇の阪急百貨店前で目撃した男性(51)は「停止線に止まっていた車が発進してすぐに人をはねた」と証言。鈴木さんは停止線からわずか2~3メートルの位置で低速ではねられたとみられている。
運転手はなぜ目前の鈴木さんを避けられず、逃走したのか。府警幹部は「飲酒運転や無免許だったケースも考えられる。だからこそ逃げざるをえなかったのかもしれない」と話す。
事故現場や鈴木さんの衣服から採集できた微物はわずか。バンパーやボンネットの塗膜片、フロントガラスの破片など車種特定につながる物証はほとんどなく、鈴木さんの左足に残されたタイヤ痕が数少ない物証のひとつ。捜査本部はこのタイヤ痕から溝の形状などのパターンを慎重に解析している。
一方、鈴木さんが梅田の交差点ではねられて約10分後、約3キロ南西の福島区吉野の北港通で、鈴木さんが振り落とされたのを女性(66)が目撃。女性は車がさらに南西方向に北港通を直進するのを見ていた。
遺体発見現場から北港通沿いに南西約100メートル地点と、此花区に入った1・3キロ地点、1・5キロ地点の計3カ所の商店街などの防犯ビデオに、黒いワゴン車が直進するようすが記録されていた。それぞれ遺体発見現場を通過して数分以内の映像で、犯行車両の可能性が高いとみられている。
1・5キロ地点のビデオは、北港通と国道43号が交差する梅香交差点の手前約250メートルの映像。さらに、同交差点を越えた北港通沿いの複数の防犯カメラには黒いワゴン車は写っておらず、犯行車両が国道43号を使って逃走した可能性もあるという。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081027-00000521-san-soci
この事件を報道で知った人の感想は、「被害者がかわいそう。犯人は許せない」というトーンばかりである。そんな声しか聞かない。上記のような報道スタンスをそのまま受け入れれば、そうなるのは仕方ない。
しかし、おいらの見方は少し違う。
posted by かっぱ2号 : 11月 5日 00:05 | コメント (2) | トラックバック (2)
2008年11月 4日
■ 土下座させるひとびと。
企業の謝罪会見を見ていると、多くの場合違和感を感じる。日航やミドリ十字の時もそうだったが、現代日本人は、ホントに土下座が好きなようである。
ミドリ十字の場合は経営側が勝手に土下座したわけだが、今回、突然閉鎖してしまった日野市の八王子自動車教習所の場合は、、
「おい、てめえ、土下座しろよこの野郎! おい!」
という下品な怒声に促されて土下座と相成った。
現代日本人は、土下座するのが好きな人々と、土下座をさせたくて仕方ない人々がいるようである。
おいらは、なれそうにもないが、間違っても企業のトップなどやりたくないなあ、と思う。土下座のリスクはゼロではなさそうだからである。
欧米で航空機事故や医療事故や経営破綻があったとして、青い目金髪の経営者たちがこのような振る舞いに及ぶだろうか。また遺族や債権者がこんなことを求めるだろうか。おいらにはとてもそうは思えない。携帯電話で「ガラパゴス化」が語られ、日本の特殊性が云々されているが、確かに日本は、一種独特な風土を持つ国のようである。
posted by かっぱ2号 : 11月 4日 06:55 | コメント (3) | トラックバック (0)